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「ホームズゆかりの地」案内:Canterbury [ ┣「ゆかりの地」案内]

先日学校のフィールドトリップでカンタベリーに2泊の旅行をしたのですが、カンタベリーと言えばホームジアンにとっては「最後の事件」

モリアーティ教授の追っ手を避けるため、ワトソンとホームズは尾行をまきつつビクトリア駅から大陸行きの列車で合流。しかし、発車間際に現れたモリアーティ教授を見て、ホームズはモリアーティ教授が特別列車を仕立てて追跡することを予測し、途中で停車したカンタベリー駅で下車、モリアーティ教授をやり過ごすことにします。

延原訳登場シーン:「じゃどうすればいい?」
「カンタベリーで下車しよう」
「それで?」
「それで、そうさ、山越えしてニューへイヴンへ出て、そこからディエップヘ渡るんだ。」

(中略)というわけでカンタベリーで下車したが、きいてみるとニューへイヴンゆきの列車はあと一時間待たなければ出ないという。
旅行かばんを積みこんだ手荷物車が、みすみす消えていった方角を、残りおしくいつまでも見送っていると、ホームズがそでをひいて、線路のかなたを指さした。
「ほら、もう来たぜ」
はるかの森かげに一団の黒煙が現われたと思うと、みるみるそれは近く大きくなり、一分後には一輛の客車をひいた機関車が、カーヴにのって突進してくるのだった。いそいで荷物の山へ身をかくすのとほとんど同時に、特別列車はすさまじい轟音をたてて、熱気を吹きつけながら通過していった。


グラナダ版ホームズでも、荷物の陰に隠れて特別列車をやり過ごすシーンがあったと記憶しています。

 

ということもあり、カンタベリー行きを別の意味で楽しみにしていたのですが、今回我々の向かった先はカンタベリーウェスト駅。路線図を見ても、カンタベリーと名の付く駅はもう一つカンタベリーイースト駅があるのみ。

もしかして原作ではイーストかウェストが付いていて、略されているだけかとも思ったのですが、原作もカンタベリー駅となっています。さらに当時の鉄道マップで確認してみたところ、確かにカンタベリー駅があったようです。

カンタベリー駅がどうなったのか、インターネットで調べてみました。

まずは当時の路線図はこちらのWikiのページが詳しくて分かりやすいようです。

19世紀に鉄道が整備されてからカンタベリーを通っていた鉄道は3社あったようです。(それぞれ合併して最後は一つの会社になったそうです。)

カンタベリーを通った最初の鉄道会社は1830年に開通したCanterburyーWhitstable間を結ぶCanterbury & Whitstable Railway(CWR)。ここは英国で初めて乗客を乗せた蒸気機関車を走らせた路線だそうです。

その後カンタベリーのあるサリー州では、ロンドン・チャタム・アンド・ドーヴァー鉄道(以下LC&D)と前述のCWRとLondon Greenwhich Railwayを統合してできたサウス・イースタン鉄道(以下SE)とが激しく路線を競い合ったそうです。

1846年にはSEがAshford to Ramsgate lineをメインラインの支線として開通、これがカンタベリーを経由しています。また、1860年にLC&DがFaversham - Canterbury - Whitstableを開通し、翌年にはCantebury-Doverを開通しています。

これらの鉄道会社が利用していた駅についてですが、最初のCWRの駅が使っていた駅はカンタベリーウエスト駅のすぐ東側にあったそうですが、1931年に旅客サービスを終了し1953年に完全に閉鎖されてしまったそうです。一方、SEのAshford-Ramsgate間は現在のカンタベリーウエスト駅、LC&DのFaversham−Whitstable間は、現在のカンタベリーイースト駅を通っていたそうです。

さて、ホームズがどの路線を使ったかということですが、ホームズがヴィクトリア駅から出発しパリに向かっていたということですので、これは当然LC&Dを使ったと考えられます。(SEはチャリングクロス発)となると、停車したのは今のカンタベリーイースト駅ということになりますでしょうか。

残念ながら、今回私が使ったのはカンタベリーウエスト駅でした。事前に調べて、イースト駅まで足を伸ばしてみればよかったと後悔しきりです。ちなみに、現在ではカンタベリーウエスト駅からチャリングクロス駅行きもヴィクトリア駅行きも出ています。私は行きはチャリングクロスから出て、帰りはヴィクトリア駅へと戻りました。

 

ところでカンタベリー駅でモリアーティ教授の列車をやり過ごしたホームズは、その後山越えしてニューヘイヴンへ出て、船でディエップに行くことを提案していますが、であれば、もしかしたら現カンタベリーウェスト駅からアシュフォードに出て、ニューヘイヴンまでいき、そこから船でディエップに行った可能性もありそうに思えます。ただ、ワトソンは「というわけでカンタベリーで下車したが、きいてみるとニューへイヴンゆきの列車はあと一時間待たなければ出ないという。」と言っているので同じ駅から出たような書きぶりです。現イースト駅からもニューヘイヴン行きが出ていたということでしょうか。事件の起こった当時はまだ合併してなかったはずなので、乗り継ぎなどどうしていたのか不思議です。違う駅を使ってたくらいですので馬車で駅間を移動したのでしょうか。

以前紹介した「シャーロック・ホームズの鉄道学」では、ディエップ行きの連絡船のスケジュールから、ワトソンが書いたようにその日のうちにブラッセルに付くのは困難なことから、ホームズはそのままドーヴァーに出るルートをたどったと推理しています。

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  • 作者: 松下 了平
  • 出版社/メーカー: JTB
  • 発売日: 2004/06
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一応カンタベリーウエスト駅の写真を載せておきます。 CWRのカンタベリー駅が近くにあったことを示す銘板がありました。 時間があればいずれカンタベリーイースト駅にも行ってみたいと思います。
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